Monthly Archives: 9月 2019

やっぱり宮古。

一昨年に初めて宮古島へ遊びに来てくださいました。そして、昨年は石垣へ旅したそうです。初めに宮古へ来てしまってからでは日本中どこの海でもかなうわけがありませんよね~~~。案の定、今年の夏は宮古へと戻ってきてくださいました。もうずいぶんと前から予約を入れて、待ちに待っていた!!という感じが伝わってきておりました。そして・・・・

おかえりなさ~~~~い!!

思い切り海で遊んで、ぐったりと疲れて、またいっぱい宮古の海を味わいました。チェックアウト後に、前回奥さんが涙したという「17エンド」へ行くとおっしゃっておられましたが、どうだったのでしょうか・・・・。

来年もきっとまたお会いできることと思っています。それまでお元気で~~!!

(まずは私が元気でなければいけませんねっ)

それでは、ポークランチョンミートの「海と空を眺めるダイニング HELL’S KICHEN(ヘルズキッチン)」のお食事のご案内です。

朝食の一例です。

ハムカツサンドの試作品!!

目の前の景色と、海風を思い切り堪能しながらテラスのカウンター席でお召し上がりくださいね。

たまに豪華なクルーザーも入ってきます。見ているだけで夢が膨らむ~~~!!

夕食の一例です。

ディナータイムはサンセットの時間に合わせてこちらで設定させて頂いております。時間厳守でお願い致します。

こんな空を眺めながらゆる~~~~りとお召し上がりください。

宿泊者限定・完全予約制・完全お任せメニューです。連泊の方は毎日メニューが変わります。宿泊予約時にお申し込みください。

静佳日記 ***************

娘の帰省 パート2

娘がハマっているというフルーツサラダから朝はスタートした。しかもこれはメインではない。朝からどれだけ食べるのか・・・娘の「パパのご飯をいっぱい食べに来たぞ~~」の意気込みがひしひしと伝わる食い意地だった。

そして、お昼は抜くことにした。なんたって夜がまた豪華だから・・・。

お昼抜きといってもパパの作るごはんを抜くという意味で、軽くカフェ巡りをすることに決定。普段は行かない田舎の方へドライブがてら車を走らせた。目をつけていたお店へと娘を案内する。といっても私も初めての入店。

「夜のためにあまり食べないようにしようね」と言いつつも、それぞれにフードを注文。

そこからまた、知り合いのカフェへとはしごした。

私は海の景色が好きなのだが、こんな「草」の開けた景色もまたいいものだ。窓からの眺めが絶景だった。

「食べないでいようね」と言いながらまたもやフードを注文。

少し運動しなくちゃね。と、島の端っこまでドライブ。少し歩いてお腹の中身を消費する。

その日は超ウルトラスーパー干潮で、海が干上がっていた。

取り合えず、観光客気取りで記念写真でも撮るとしようか。

案の定、夫がふざけだす。

次に灯台を目指した。まだ一度も登ったことがない。

娘と二人で初挑戦。

意外にも長い螺旋階段で疲れ果て、「あと50段」の文字を見て休憩した。

そしてあと20段!!

やった~~~~~~~~!!

となるはずだったのだが、現実を知ってたじろいだ。高所恐怖症の私にはなんとも恐ろしい展望台だった。鉄の板だけの足場に手すりのみが一周めぐらされているだけ。せっかくだからと歩き出したが、もう叫び声しか出ない。

「怖いよ~~~」

「なんでこんなところに穴をあけちゃったんだよ~~」

足元にあけてある1円玉よりも小さい穴にさえ、下が見えることに怯えた。

でも、景色は抜群。眺める余裕のある人にとってはね。

とっととその恐怖の場所から移動し、久しぶりの場所を探索して回った。

帰りに見た、崖っぷちの軽トラのかわいいことときたら・・・。まるでCMのようだった。宮古の景色はこんなものまでぐ~~~~んと引き立ててくれる。だから楽しい。


そして、次回へと続く・・・。

夏休みは家族の日。

とっても楽しそうなご家族でした。

寝ている時、2段ベッドから落ちてしまった男の子。すごい音がして大人たちはびっくり仰天だったそうですが、当の本人は寝ぼけ眼。

それでも、何が一番楽しかった?と帰りに尋ねると、迷うことなく「2段ベッド!!」と答えてくれました。

また、遊びに来てくださいね!!

最後のポーズはみんなで「シーサー!!!」でした。

それでは、ポークランチョンミートの「海と空を眺めるダイニング HELL’S KICHEN(ヘルズキッチン)」のお食事のご案内です。

朝食の一例です。

夕食の一例です。

宿泊者限定・完全予約制・完全お任せメニューです。連泊の方は毎日メニューが変わります。宿泊予約時にお申し込みください。

静佳日記 **********

娘の帰省。

8月の終わり。東京で働く娘が夏休みを利用して遊びに来た。入院時にも来ると言っていたがそれは断った。娘にしてみればもうこれで私に会えなくなるのでは?との不安があっただろうが、それをしたら本当にそうなってしまいそうで嫌だった。

それよりなにより、元気な時に会ったほうがいい。どっかの親分の如く弱い姿を見せたくない私は、お見舞いに来てくれるという人を全て断っていた。

ちょうど図ったかのように退院した翌日、娘を宮古空港へ迎えに行った。彼女にも退院を内緒にしていたので驚いて笑いだす娘。何故、私の身内は嬉しいとこんなにも笑うのだろう。

家に着いて間もなく、空が朱くなり始めた。夫の「ご飯の前に空を見てくれば?久しぶりだろ?」の提案にすぐに乗っかった私は娘と共に目の前の桟橋へと向かう。

すでに沢山の人々が眺めに来ていた。

私の定位置にはいつも誰もいない。その日もちゃんと場所は空いていた。ここでいつもは独りでまったりと本を読むのだが、今回は娘と二人。

「綺麗だね~~~~。」

初めはそんな一言から始まった。どっちがどちらに似たのかは知らないが、共におしゃべりマンの母娘は、夕焼けに染まる空を眺めながら機関銃トークが止まらない。まあ、今回は私の方が多かったかな?

何層にもカラーリングされた空を飛行機が横切ってゆく。

ぽっかり浮かんだ雲の品評会もした。

話に夢中になりすぎて、いつの間にか空が暗くなっていることに気が付かずにいたらしい。慌てて家を振り返ると、ライトアップされたテラスに食事の準備が整っているようだ。急いで帰るとすっかり待たされた夫が作ってくれた愛情料理が娘を出迎えた。

さあ、本日のメインイベントのスタートだ。

次回へと続く・・・・。

有言実行。

いつもはお父さんとの二人旅で来てくれていました。

帰る時にはいつも「この次は彼女と来ます!」そう言ってバイバイしました。

そして・・・・今年はついに有言実行~~~~~~!!

念願の彼女との宮古旅行です!!

沢山、宮古のきれいな海を案内できたかな?

一緒に来れなかったお父さん。いつかみんなで来れるようになるといいですね!!

また、お待ちしております。

それでは、ポークランチョンミートの「海と空を眺めるダイニング HELL’S KITCHEN(ヘルズキッチン)」のお食事のご案内です。

朝食の一例です。

夕食の一例です。

宿泊者限定・完全予約制・完全お任せメニューです。連泊の方は毎日メニューが変わります。宿泊予約時にお申し込みください。

お食事はテラスのカウンター席にて海と空を眺めながらお召し上がりいただいております。


目の前の桟橋は夕日スポット。沢山の人が美しい空を眺めにやってきます。

勿論、お隣のパイナガマビーチにもたくさんの観覧者たち。

そして、暗くなると今度はポークランチョンミートがライトアップの時間です。

静佳日記 ********

私の一大事・・・最終章。

やっとICUから一般病棟へと移る日。一般病棟へ来て思ったことは・・・・

若い人が一人もいない!!!おじい、おばぁばかりだった。隣のベッドのおばぁはひっきりなしにナースコールを鳴らし、独り言を言い、看護師さんを呼びつけたかと思ったら「鳴らしていないのに勝手に携帯が鳴っているよ~~」と言った。いやいや、あなたがきっと押しちゃったんでしょう?

ここの看護師さんは大変だな・・・・そう思ったら私はどんな時でもナースコールを鳴らせなくなった。用があったら自分で言いに行こう。

その頃には少し外を見る余裕も出てきた。うまいことに窓際のベッド。子供たちの野球の試合をただぼんやりと眺める。野球は詳しくないので見ていてもつまらないはずなのだが、人が楽しそうにしているのを見るのが好きだ。東京にいる時に夫と家の近所の土手へプチキャンプに行き、まったりと少年野球を眺めていたことを想い出していた。体の自由が利かなくなると、思うもの。

何でもない日常に本当の幸せがある。

と。

今までよりもより一層一日一日を大切に生きられそうな気がしていた。

だが、現実はそう甘くない。その頃私は、「薬疹」と呼ばれる、薬によるアレルギー反応である湿疹が体中に広がっていたのだった。痒さで寒気と鳥肌が立つ。体中に虫唾が走った。24時間それは私を襲い、かゆみ止めでうとうとすると痒さで目が覚めるという繰り返しの長い長い24時間を何日も過ごした。

なんてツイていないんだ!!

これだけツイていないんだからきっとこの先はいいことがたくさん待っているんだろうな。その思いだけが私のその頃の心の支えだった。

そして、ついに退院の日。  

シャバの空気のなんと美味しいこと!!

ポークランチョンミートから眺める景色のなんと素晴らしいこと!!

家で入るシャワーのなんと気持ちのいいこと!!

夫が作るごはんのなんと美味しいこと!!

1秒1秒、幸せをかみしめながら、日常の有難さを体中で味わった。

退院した日にテラスから眺めた夕焼け空。色々な生き物の形をした雲が出迎えてくれているようだった。少しの間だったのに、ものすごく「お久しぶり!!」な空。これを見なくちゃ始まらない。

こうして私は「人造人間」となって、復活した。「鉄人」と夫に呼ばれていた私は「アイアンマン」と呼び名を変更され、気力だけは更にパワーアップ。怖いものはもう何もない。そんな気分だった。・・・体力はそうはいかないが・・・・。

そして、一瞬でも「人生の終わり」を実感したことで、今まで以上に更に「夢」が膨らんだ。死ぬ前にやりたいことをやっちゃおうよ~~~!!ってね。

退院後、夫に頼んで義母をランチに誘い出す。まだ退院は知らせていなかった。サプライズランチの計画。家まで迎えに行き、助手席の私を見てびっくり仰天した義母は、「良かった~~~~!!」と笑って大きく私の肩のあたりをたたいた。

「お義母さん、そこ!手術した傷口~~~!!」

お構いなしに笑いが止まらない義母。よほどホッとしたのだろう。「今日は美味しいものたくさん食べなきゃね」と。それに応える私。「うん!!お義母さんのおごりでね!!」「勿論さ~~」

退院祝いの「おごり」の贅沢ランチをたらふく食べ、ノンアルコールビールをいっぱい飲んだ。勧められてもいないのに。

退院祝いはいつまで有効なのだろう・・・次は誰におごってもらおうか。

お帰りなさい!!!!

昨年の夏、二人旅だったお母さんと娘さんは今年の夏は約束通りお父さんも連れてきてくれました。彼女のお陰で手品にハマってしまった夫は1年間ずーーーっと手品の練習をしてきたのですが、いざ本番となるとうまくいかず・・・。

いい意味で想像と違っていたお父さんとは、とても楽しい大人の時間をご一緒できました。海での遊びも充実していて、寝る時間も惜しんで沢山遊びましたね。(大人も子供も!!)また、来年もご家族3人で是非、お待ちしております。

それでは、ポークランチョンミートの「海と空を眺めるダイニング HELL’S KITCHEN(ヘルズキッチン)」のお食事のご紹介です。

朝食の一例です。

夕食の一例です。

お食事は、宿泊者限定・完全予約制・完全お任せメニューです。連泊の方は毎日メニューが変わります。宿泊予約時にお申し込みください。

テラスのカウンター席にて、素晴らしい景色を堪能しながらお召し上がりくださいね。

静佳日記 ********

前回の続き・・・・

無表情くんがその顔の筋肉を初めて使ったのは、私の心臓がバクバク!!ドクドク!!ドックんこ!!と急に大きく動き出した時だった。その心臓の振動で横たわっている自身の体全体が大きく上下しているように感じるほどだった。初めて顔の筋肉を力いっぱい使ってニコリとした無表情くんが口を開く。「よっしゃ!!来た~~~~~~!!」どうやら脈が通常の速さに近づいていったようだった。薬が効かない遅い脈を、なんとか次の方法で対処しようと考えていたちょうどその時だったようだ。そこから色々な先生が顔をのぞき込んで話しかけてきたが、みんな初対面の人ばかり。暫くして「上地さん」と声をかけてきたのは、初診から様々な検査に廻してくれた内科の若い先生。電話で何度も何度も「何かあったらすぐに来てくださいよ。」と言っていたあの彼だ。「あ!!先生・・・・失神しちゃいました・・・」それだけ伝えると、先生のすまなそうな顔を見て、初めて涙が出そうになった。知った顔を見て安心したというより、彼の顔が「早く病気を見つけてあげられなくてごめんね」と言っているように見えたからの方が強かったと思う。彼は小さく「頑張って下さい」とだけ言うと他に何も言わずに暫くそこに立っていた。

カーテン越しの隣のベッドでは救急で運ばれた男の声。「警察には言ってもいいけど家族には言うなよ」酒を飲んで殴られたらしい。まだ酔っぱらっているらしく、子供のようなことばかり言っている。何故だかそのくだらなさで少し心が落ち着いた。

その後、失神した際にひっくり返って頭を打ったと思われたため(たんこぶはおでこにできていたが)、頭のCTを撮り、最終的にICUへと運ばれた。その間ずっと天井を見上げていた私は、病院の設備のいかにうまくできているかに感心していた。そこにあったほうがいいものが全てそこにある。そんな感じだった。こんな時にまで建物の内装の使い勝手に興味がある私はちょっとおかしい。のかな?

病気の説明と、身体に埋め込む生命を維持するための精密機器の解説を聞く間も、なんだか他人事のようだった。翌日に行う予定だった手術は熱が出たため延期になった。その間私は沢山の血液検査、ウイルス検査、薬の投与、点滴・・・・と、腕のありとあらゆるところに針を刺され、もう刺すところがなくなると、手の甲にも刺された。今、おまわりさんに職務質問をされたらきっと麻薬患者と間違われるに違いないとくだらないことを考えていると、「尿検査をしますね」と言われ笑いそうになった。体から沢山の管が機械へと繋がれ、24時間の監視下に横たわっているのはとてもつらいことだった。トイレも自分で行くことはできない。何気ない日常生活のなんと素晴らしいことかを実感せざるを得なかった。

そして、いよいよ手術の日。手術さえすれば楽になる・・・そう信じていた私は意外にも緊張や不安はなかった。付き添ってくれていた夫にも「これが会う最後になるかもよ~!」と、軽い冗談を言えるくらいだった。

そして、手術室へ。

テレビで見たことがある手術室を想像していた私は、中へ入った途端に固まった。

だだっ広く、黒い壁のその部屋は、手術室というよりは宇宙ステーションのよう。様々な最新(らしい)の機械が揃えられ、未来映画に出てくるようないくつものコンピューターの画面がビヨ~~~ンと天井から伸びている。透明の四角いガラスは手術台に向き、きっとここに何かが映し出されるに違いない。

そう。そこはアイアンマンの技術室か、CIAの指令本部のようだった。そして20人ほど(?)のスタッフ。もうだめだ。一気に緊張した。心臓が爆発しそうだった。「先生!!ちょっと無理です!!」もう少しでそう言いそうになった。

圧倒されるとはこういうことを言うのだろう。

だが、そんなわがままも言えぬまま、それは始まった。局部麻酔なので声は聞こえている。一番聞きたくなかった言葉は「そこ!!そこに手を突っ込んで!!」だった。自分の体に手が突っ込まれるのを想像してしまい、吐き気がした。

3時間ほどだっただろうか。手術は無事終了。

睡眠薬も飲んでいたため、その後の家族との会話は全く覚えていない。

次回へと続く・・・。

お久しぶりです。

ながらくブログを更新できず、色々な方々にご心配をおかけいたしました。

お察しのように、体調を崩し、入院をしておりました。ご予約を入れてくださっていた方々には、急な営業休止で大変ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございませんでした。無事に退院を果たし、リハビリが始まっております。間もなくポークランチョンミートの営業も再開する予定です。わたくしも色々と身体にガタが来る年齢になったというわけで、今後もどういった病気に出会うのかは未知ですので、再びこういったことでご迷惑をおかけしないとも言い切れません。その際はどうぞ広~~~~~~い懐で受け入れてくださいますようお願い申し上げます。

身体と熱意(これが重要!!)が続く限りはポークランチョンミートは続けるつもりでおりますので、これからもご愛顧下さいませませ。

さて、随分と時間が経ってしまいましたが、お泊りのお客様のご紹介をさせてくださいね。

地元で農業をされているお客様。沢山の種類のお野菜を作っていらっしゃるそうで、うらやましいです。お子ちゃま達はお隣の公園でも駆け回り、短い間でしたが存分に満喫していただいたと思います。この次は野菜作りの秘訣を是非教わりたいです!!宜しくお願いしま~~~~す!!

八重山でリゾートバイトをしていた若者君。就職が秋からに決まっているのでその前に「できること」を体験中なのだそう。地元に帰る前に「ちょっと」宮古へと立ち寄ったそうです。一緒に呑んで語り合いましたが、本当にまじめで素晴らしい青年でした。人を助ける仕事を選んだのも、彼の人柄を知れば納得です。

いつかまた、立派になって遊びに来てくださいね。楽しみにしています。

お父さん一人で二人の男の子を連れていらしたお客様。まあ~~~~~~~その子たちのやんちゃなことといったらっ!!!!私たちもつい同い年になっちゃっうほどでした。(意味が分からない??)一緒にふざけて、一緒に笑って・・・・固い友情が芽生えたと思いますが、いつまで私たちのことを覚えていてくれることやら・・・忘れそうになったら、お父さん!!また連れてこないとあきまへんで~~~!!

それでは、ポークランチョンミートの「海と空を眺めるダイニング HELL’S KITCHEN(ヘルズキッチン)」のお食事のご案内です。

朝食の一例です。

夕食の一例です。

宿泊者限定・完全予約制・完全お任せメニューです。連泊の方は毎日メニューが変わります。宿泊予約時にお申し込みください。

静佳日記 *********

ある日突然、それは始まった。

体を動かすことには自信があった私の身体が急に言うことを聞かなくなったのだ。少し動いても息が上がる。めまいがする。立っているのが辛くなる。こんなことは初めての経験で、何がどうなったのか理解できず数日を過ごした。少し大事にしていればすぐに治るだろうとの軽い判断。ところが海で泳いでも息が続かない。これは一大事だ。

沢山来る宿のお客さん達の、親御さんの経験談や看護師さんの意見を素直に聞いて、病院で検査をすることにした。彼らの助言がなかったらまだまだ病院に行っていなかったと思うとぞっとする。

宿をやっていて良かった。

ところがどんな検査をしても悪いところが見つからない。何度も通った。一つだけ先生が指摘したのは「脂肪肝」。普段の生活を初診の際に記入していたので「100%お酒のせいですよ!!」と苦笑いの先生。それからは勝手な自己判断で運動をした方が良いと思い込んでいた。これも今思えば恐ろしいことだ。今頃はこの世にいなかったかもしれないのだ。

考えあぐねた先生は、次なる手段の検査を提案した。24時間の監視。早速ホルダーを装着して自宅での日常生活の検査が始まる。「結果は時間がかかります」そう言って2週間ほど先の予約を入れてくれた。お盆休みを挟んでいたのだった。結果を聴くまでの間に症状はどんどん悪化し、ついには少し歩いても座り込みたくなるほどにまでなっていた。それでも仕事をこなしていた私は、夫に「鉄人」呼ばわりされる所以を自覚せざるを得なかった。

そして、金曜日の夕方。病院の先生から電話があった。「検査の結果を今日見たのですが、すぐに入院できますか?」とのこと。一体全体どういうこと??

事態を把握すよりも、仕事のことが先に立つ。「取り合えず今日は無理です」そう答えていた。「そうですか。では月曜日から入院になります」

え?入院って、土、日はやってないの???

電話を切ってすぐに向こう2週間の予約のお客様に連絡を入れ、代わりの宿を紹介した。恵まれたことに快く受け入れてくれ、最後には「お大事に」「早く良くなってくださいね」との有難い心遣いまでほぼ全員から頂戴する。この時の気持ちを忘れずにいよう。

そして、すでにお泊りいただいていた最後のお客様の朝食の準備をしている時、気を失って倒れた。まるで全てをやり遂げた、リングの上の明日の「ジョー」のようだった。

目が覚めると、自分が何故床に寝ているのかわからなかった。先生から「失神とかはしていないですか?」と聞かれていたのですぐに事態を把握し、「少しでもおかしいなと思ったら迷わず夜中でも来てくださいね」と言われていた言葉通り、「病院に行くよ!!」と厨房の夫に叫んでいた。

救急車よりも早いので、息子の運転で病院まで運んでもらい、早朝のため救急の入り口へ停めた。「起き上がるとまた失神しそうで怖いからストレッチャーを持ってきてもらって」依頼した息子は車いすを運んできた。「守衛さんが話が分からないみたい」車いすでその守衛さんの所へ行き、自分で説明したが「保険証と診察券を・・」と言われ、挙句の果てに「そこで、血圧を測ってください」

その数分後から何十回も血圧を測られることになる私は、機械に腕を入れて自分で血圧を測りながら、「これは意味があるのか」と頭の中で問うていた。

その後のことは記憶があいまい。「上地さんですね!!」看護師さんがベッドへ寝かせてくれ、夜勤らしい無表情の若い医師に「脈が30しかないんです!!」と叫んでいた。無表情くんは、アルファベットと数字の羅列を繰り返し指示し、「取り合えず脈をあげないと・・・」。沢山の点滴の針が腕に刺され、色々な薬が体内に送り込まれたように思う。看護師さんたちの緊迫感と、忍者のように素早い動きが、「私、危ないのかしら??」と思わせた。だが、それよりも身体がしんどすぎて、それほど怖さは感じなかった。と、思う。

次回へと続く。